国家公務員が何か書くブログ

20代男性国家公務員のユルユルな私生活を書くブログ(予定)

性風俗店における「パネルマジック」に関する考察

こんばんは。寒暖差が激しい今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

私はというと、性風俗店(以下、単に風俗と呼びます)についてネットで調べていました。低俗で申し訳ない。

実のところ、私は風俗というものに行ったことがありません。いや、リフレという広義的には風俗に属するであろう店になら行ったことはあるのですが、性的サービスがあるような店ではありません。

というわけで、そのような性的サービスがある風俗に行ってみたいのです。最低だ、というお小言が聞こえてきそうですが、風俗に行く=最低は短絡的に過ぎると思います。風俗で働く女性はプロとして仕事をされています。私は、そのサービスを受けに行くだけ。私は、性的欲求を満たす代わりに風俗で働く女性にお金を落とすという、風俗嬢とwin-winの関係を築きに行くのです。

さて、そんな風俗には、「パネルマジック」なる概念が存在します。パネルマジックとは、女性の写真を加工・編集することで、殆ど別人のような写真にしてしまうことです。今は恐ろしい時代であるもので、photoshopのような専門的なツールがなくてもスマートフォンのみで容易に「別人になる」ことができてしまいます。私は風俗に行ったことがないので、リアルとして実感したことはないのですが。

そんな科学技術の発展があって、風俗にはこのパネルマジック写真が蔓延っているわけですが……これ、風俗で働く女性にとって、得になっているんでしょうか? という一つの疑問が浮かびます。

単純に考えてみます。女性は、自分の写真を加工・編集することで、自分の写真がより綺麗になる。自分の写真が綺麗になれば、客から自分が指名される。客に指名されれば、その女性は報酬としてお金を得ることができる。一見、いいことであるように見えます。

ですが、「パネルマジックという概念が浸透している」という前提があると、この論理はまったく成り立ちません。風俗に通う多くの男性は、風俗の写真を信用していません。何故なら、パネルマジックがあるから。当たり前ですね。だから、このような男性が新しい風俗を開拓する時、ネットの評判から人気がある女性を選択する傾向があります。人気があるということは、所謂ハズレの女性である確率が低くなります。ネットで調べていると、このような選択をする客が多いように感じました。つまり、例え容姿が良くても、土台となる人気がないと選択されにくいのです。

人気がある女性に更に客が付き、人気のない女性は容姿がどうであれパネルマジックを恐れる男性から選択されない。こうして、パネルマジックという概念が浸透していることで、人気がある女性と人気のない女性の格差が広がります。これは、健全な構造ではありません。

多くの風俗は、女性の人気(=需要)に合わせて価格を変えて対応しようとしているようですが、その価格の変動幅は多くの場合緩やかで、人気のない女性を選択する動機付けには至りません。

もし、パネルマジックという概念が存在しなければ、純粋に容姿で選択されるようになり、人気が人気を呼ぶこのような構造はなくなると考えられます。以上のことから、パネルマジックという概念は、男性にとっても(一部以外の)女性にとっても得である概念であるとはとても思えません。

 

……まぁ、ここまでくだらないこじつけ駄文をゴチャゴチャと書いてきましたが、写真無加工の店があってもいいのでは? と思うんですよね。多分その方が男性も女性も不幸にならないんじゃないでしょうか。

風俗で働く女性は必死だと思います。人気がある女性は私なんかの数十倍は稼いでいらっしゃると思いますが、人気がない女性は風俗に身体を売っているにも関わらず生活できません。人気が人気を生むこのような歪な構造がなくなることを願います。

今野晴貴著『ブラック企業から身を守る! 会社員のための「使える」労働本』を読んで

この少子高齢化時代、私たち20代の労働者の定年はどこまで延びるか分からない。少子高齢化は、若者の所得を増やせない国にその責任があるわけだが、そんなことを言っても一労働者である私たちにはどうしようもない。ささやかな抵抗として、選挙の投票に行くくらいである。

そんな背景があって、私たちにとって「働く」というのは一昔前より一層考えなければならないテーマとなっているだろう。国は私たちに働け働けと言ってくるかもしれない。しかし、私たちは会社の奴隷ではない。

というわけで、最近私は労働法に興味がある。労働法とは言っても、堅苦しい感じではなく、使える感じの労働法を求めている。私は公務員なので、労働法が適用されない部分も一部にはあるが、概ね適用されると言っていい。

知識は力だ。これからの時代に私たち弱小労働者が生きていく為には、知らなくてはならない。

というわけで、今野晴貴著『ブラック企業から身を守る! 会社員のための「使える」労働本』をネット通販でポチッて読んでみた。

 

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内容は、労働相談を行うNPO法人の代表である著者が、「ブラック企業」から身を守る為の労働法を分かりやすく書いているというもの。今は身近である「ブラック企業」という言葉も、著者が広めた言葉であるようだ。

口語調で書かれたこの本は、掲載する情報が厳選されている為か、かなり読みやすかった。集中して読めばすぐに読み終えられるような文章量なのも良い。既に知っている知識も多かったが、それ以上に知らない知識の方が多かった。

この本の中で、著者は、以下のことを説いている。

 

・証拠の重要性

違法な労働をさせられていて、会社と争いたい時、実はメモ書きが証拠になり得ることを皆さんはご存知だろうか。私は知らなかった。

そのメモ書きは詳細に書かれていればいるほど良く、実際にメモ書きで会社に勝った例もあるのだとか。

勿論、メモ書きだけではなく、会社公式文書や録音記録も重要な証拠となる。

そして、違法な労働は、違法なので労基が動く。労基も人手不足なので、これを動かすのは一苦労なのだが、証拠さえきちんと揃っていればちゃんと動いてくれる。

そんなわけで、著者は証拠の重要性を説いている。

 

労働組合の重要性

労働組合とは言っても、それぞれ会社に個別にある労働組合ではない。会社に関係なく広く産業・職業別に開放されている労働組合の重要性を著者は指摘している。

というのは、会社別の労働組合というのは、企業にベッタリであったり、労働争議をするという意識がなかったりで、私たち労働者を守ってくれないことが往々にあるからだ。皆さんも経験がないだろうか。

実は私たち国家公務員にも労働組合がある。意外にある思われるかもしれないが、事実存在するのだ。しかし、その労働組合は、(高齢者の割合が非常に高い為)傾斜も非常に緩く給料が少ない若手が負担する年会費が異常に高い、活動内容も労働争議ではなくクッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッソどうでもいい政治活動をメインとして行っている(ように見える)。この団体が労働組合を名乗るのは非常に不愉快なので辞めてほしいものだ。当然、私は加入していない。

というわけで、私も労働組合に良いイメージがまったく無かったのだが、そんな風なイメージを持つ読者に、著者は実例を挙げながら労働組合の重要性を説いている。

 

他にも色々あるのだが、このへんにしておこう。気になった人は、実際に買ってみてはいかがだろうか。

自己紹介と当ブログの方針について

一日坊主にだけはなりたくないので更新することにする。

ブログでも何でも、まずは自己紹介をするべきだろう。というわけで、自己紹介でも置いておくことにしよう。

名前…アズ(勿論、ハンドルネームである。)

性別…男

年齢…20代

職業…国家公務員

皆さんは国家公務員という職業を聞いて、どんなイメージを描くだろうか?

試しに、「国家公務員 イメージ」でググってみたら色々出てきた。

「民間企業のサラリーマンとは考え方が違うというイメージ」とか「融通が利かなくて頑固だというイメージ」とか酷い言われ様だ。何かしら「お堅い」ようなイメージがあるのだろうか。

しかし、別にそんなことはない。公務員だって人間なのだから、民間企業の人とそうは変わらない……と、主張したい。私の知り合いの公務員には、ギャンブルが好きな人もいれば風俗(?)狂いの人もいる。

このテーマは意外と面白いのではないだろうか。ということで、このブログはこんな私が公務員の「お堅い」イメージを払拭する為に、ユルユルでガバガバな私生活をダラダラと書き連ねるブログにしようと思っている。この文章を書いているたった今決めた。ブログタイトルも変えた。

それにしても、「転勤がない」というイメージがあったのは意外だった。多分これは地方公務員に対するイメージだろう、そう、国家公務員は転勤族なのである……

趣味…ネット、本(漫画・教養本・専門書)、ゲーム

超が付くほどのインドアっぷりだが、これが私だ。上記のような趣味なので、休日は一日家で過ごすことが多い。

外出が多くなる時といったら、恋人とデートする時くらいだろうか。私の恋人は超が付くほどのアウトドアで、私とは真逆なのだ。ここらへんも、気が向いた時にでもアーカイブ化しようと思う。

今日はこの辺りで、さようなら。

ブログのことはじめ

この度、ブログを始めてみた。

このSNS全盛の時代、ブログというものは人々から忘れられつつある古い文化であろう。10年前こそ個人サイトやブログが流行っていた時代もあったが、今はそういう時代ではない。今の時代は猫も杓子もTwitterFacebookInstagramである。

そんな時代に逆行するようにブログを始めてみた。理由はそんなに高尚なものでもない。

上記SNSにいると、短文を書く機会こそあれど、長文を書く機会などというのはほとんど存在しない。事実、私も長文を書く機会は圧倒的に減ってしまった。こうなると、文章力が衰えてくるものである。少なくとも私はそういう人間で、所謂ボキャブラリー貧困に陥っている。そんなボキャブラリー貧困の解消にブログが一役買ってくれないかという期待がある。これはある種のリハビリであろう。

また、上記SNSでも文章は書けるのだが、文章を書いて人に読んでもらうまでには人との繋がりを作らなくてはならない。それは労力のかかることである。いや、私には既に人との繋がりがあるアカウントがあるのだが、それは匿名ではなく、リアルに寄った性格が強い。実名こそ出していないが、特定しようと思えばひどく簡単だろう。そんなアカウントで変なことを呟こうものなら間違いなく炎上するだろう。SNS全盛のこの時代は炎上の時代でもある。じゃあ私が炎上するような文章を書くのかという話だが、そういうわけではない(と私は思っている)。まぁ保険で自衛をかけるのである。

はてなブログは無理に繋がりも作る必要がない。実際はどうなのかは分からないが、繋がりを作らなくても、物好きには読んでもらえるんじゃないかという期待がある。世の中には驚くような物好きがいるもので、こういった零細ブログを読むのが趣味の物好きだっていると私は確信している。

以上をもって、ブログのことはじめとしよう。なお、これは投稿テストを兼ねている。